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第5回
水無月
「外国人から見た日本」 テルリ・エアラン
2009.6.12東山 波心

初めて海外の「道師」をお迎えして開かれた第5回和人の会。ニューヨーク出身のテルリ・エアラン氏は、日本をこよなく愛し、日本家屋に暮らしているという前評判。「わびさびの世界」に生きているのかと思いきや、その暮らしぶりはかなりユニーク。14年間の住まい遍歴、とくとご覧ください。

テルリ・エアラン氏
波心

この日の会場は、万歴龍呼堂の三好社長がプロデュースされた、東山「波心」。趣ある佇まいが、初めて訪れた方でも落ち着ける空間となっています。坂本社長のアウグスビールで乾杯し、季節のお造り、本鴨のしゃぶしゃぶ、手打ちせいろ蕎麦などをいただきました。

アウグス社長

中でもメインの鴨しゃぶは、一緒にいただくお野菜が主役になれる位おいしくて、女性陣に大好評。お料理はもちろん、器、グラス、箸に至るまで選び抜かれたものを使用しており、ご主人の真摯な仕事ぶりが感じられました。

お酒
鴨しゃぶ

〈テルリ・エアラン氏のお話〉

──日本への目覚め。──

9歳の夏のキャンプ。付添い人だったジェームズの自宅に招かれ、初めて仏教に出会い、カルチャーショックを受けたのを覚えています。祖父が神父で、14歳から教会に通い、世界中の宗教を学ぶ機会を得ました。各国の宗教を原本で学ぶため、ドイツ語、フランス語、ロシア語、スペイン語、日本語を習い、中でも「人間として最も現実をつかんでいるのが仏教なのでは?」と思い、17歳から大学で日本語を学び始めたのです。 日本に興味をもったプロセスを辿ると、アメリカという国が自分の肌に合わなかったのだと思います。アメリカを出てから日本以外の国を訪れても、アメリカへは帰っていません。アメリカでは自分の話したことを相手がわかっているか「確かめる義務がある」と考えます。一方日本は相手が話していることを正しく「理解する義務がある」と、とらえます。

──来日してからの住まい遍歴。──

95年に来日、新宿5丁目の安譜請なアパートから始まり、各地を移り住みました。170平米ある高層マンションの最上階に友人と暮らしていた時期もあります。外部と隔離された空間、コンクリートの建物が嫌になり、次に選んだのが下北沢の4畳半。友人も多く便利な場所でしたが、2キロ四方を道路に囲まれ、空気が悪いのに閉口しました。 「きれいな空気と水のある生活」に憧れていた時、音楽祭で知り合った外国人から富士山の見える一軒家を譲り受け、移住を決意し、「道の駅」に勤めながら夢の田舎暮らしがスタートしました。 最も大変だったのは、西原村(上野原市)での生活。150年前に建てられた蚕産を営んでいた旧家を、リフォーム可という条件で、年30,000円で借りました。村の人口は800人。名字は2つしかなく、インターから45分の人里離れた高台に位置し、勤めていた荒川の学校まで、優に片道2時間半かかります。風呂は五右衛門風呂!冬場の寒さが厳しく、押入れを壊して薪ストーブを入れましたが、薪も山に入って集めなければならず、生活そのものがサバイバルでした。 現在の住まいに移ったきっかけは、一軒のパン屋との出会いです。言問通り沿いにある「セキネパン」。ドイツパンの店で、ルームメイト4人分、月6万円もパンを買っていました。ある時、店のオーナーから息子に英語を教えてもらえないか?という依頼があり、西原から通うのは大変だから、うちの寮に泊まるといいと紹介されたのが、築80年、長屋造りの男子寮。住まいを完全にこちらに移してから、大幅にリフォームし、30畳のスペースを月60,000円で借りています。 古い家に暮らすというのは、不便で我慢を強いられることが多々あります。しかし、5年位かけてリフォームすると、愛着がわき、自分だけの素晴らしい空間になるというのが私の実感です。日本家屋は自然と一体になっています。ですから、外とのエネルギーが広がって、まるで自分が大樹になったような感覚になるのかもしれません。

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